はじめに
ワタシの住んでる場所は、中華街もあり幹線道路も走っていたり、とにかく騒々しいトコロです。
しかし、ちょっと5分くらい坂を登れば山手という閑静な高級住宅地があります。
外人墓地や領事館などもありホントに落ち着いた雰囲気です。
山手に来るといつも時間がゆっくり流れているな〜、と感じます。
実際、山手は観光名所でもありますが比較的年配者の方が多くのんびりされています。
その、のんびりを作り出している原因の一つが『信号』なのです。
信号が時間の経過を遅くしている??
山手地区の信号は長〜いのです。
長いといっても信号機そのものが長いのではありません。
信号の色の変化スピードが長いのです。
なかなか青に変わりません。
それが時間がゆっくり流れている原因なのです。
よく見かけますが、信号に差し掛かかって黄色になると速度を上げるクルマもいます。
青点滅で走り出す歩行者もいます。
走っているヒトを見るのは慌ただしく感じるものです。
信号の色がすぐ変わってしまう都会では、その分だけ走る人をよく見かけることになるのです。
この光景を見ることが忙しく感じさせるのです。
普段何気なく目にする信号にも思わぬ効果があるようです。

走っていることが時間の流れを早く感じさせる
そもそも田舎では走っている人を見かけることがありません。
だから田舎は時間の流れがゆっくりなのです。
なので、都会も信号の色が変わる時間を長くしてみればいいでしょう。
もちろん、交通事情の問題があるのでムリでしょう。
慌ただしさは伝染します。
交通事故を招く可能性も高くなります。
信号の色が変わる瞬間に事故が多いのはそのためです。
ですから、事故を減らす意味でもヒトを走らせないようにしなければいけません。
しかし、ヒトが走っている光景を目にすることが時間の流れを早くするのであればジョギングするヒトを見かけると慌ただしく感じるでしょうか?
いや、そんなことは全然ありません。
逆に、『余暇を楽しんでいるヒト』として見てのんびり感じてしまうでしょう。
ジョギングに慌ただしさは感じません。
やはり、普通に生活しているヒトが走っていると慌ただしく感じるものです。
信号機というのは思わぬ加速装置です。
時間を操作できるのです。
そういう意味ではとても怖いシロモノです。
おわりに
クルマも自動運転のテストが盛んに行われています。
自動運転が当たり前の世界では信号が長くなるのではないでしょうか。
現代の運転手主導の運転は運転手の感情に左右されクルマが凶器となり兼ねません。
信号無視するような人間も当然のように存在する世の中です。
性善説を前提にした交通事情はもはや危険かもしれません。
もう少しゆとりのある世界にするために故意に時間の流れを遅くしましょう。
信号があると時間に追われてる感が拭えません。
信号の色の変わる時間をを長くし、そこに何らかの強制力を持たせることがいい世の中へ進む一歩となるのかもしれません。
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