
はじめに
最近、「正論おじさん」なる異常な人物がクローズアップされています。
正論を振りかざして激しく攻撃してくるおじさん、いますね〜。
「私は良いことをしている」、「私は絶対に間違ってない」と信念や正義感で行動する人が増えているのが厄介です。
ストレス社会でもあるのでしょうか。
近年、怒りっぽい人が増えてきたような気もします。
そういう、理屈の通らない人物にはどう適応していけばいいのか悩ましいものです。
隣人がいつ豹変して攻撃してくるかもわかりません。
そんなことに対処すべく方法も考えていきたいと思います。
法律に1ミリでも反すると、、、
正論おじさんは法律を盾に攻撃してくるのが特徴です。
上記記事によると日本人の法律の解釈違いを論じています。
日本では、法律の条文に書いてあることが絶対的に正しいと考える人が多いのですが、これは民主国家における法律の解釈としては前時代的で特殊な部類に入ります。
民主国家における法律というのは、条文そのものよりも、法律が出来上がった背景や目的、基本的な価値観についても考慮に入れなければなりません。
道路交通法は「交通の安全と円滑を図り、道路の交通に起因する障害の防止に資する」ことを目的としています。つまり、具体的に周辺の安全が脅かされているのか、円滑な交通が阻害されているのかという部分がもっとも重要な判断基準となります。
そうであるからこそ警察は、むやみに摘発することはなく、状況を見て柔軟に対処しているわけです。
法律を厳守するというのはナンセンスで軍隊と同じなんですね。
戦争を体験した正論おじさんは「国家命令である法律は絶対」という意識を持ち合わせています。
それはもはや時代錯誤だということを認識させないといけません。
正論おじさんに変化した瞬間
正論おじさんはゴミ屋敷の主人と似ています。
いつも怒っています。
共に、人生において何か突発的なアクシデントが起きたのをきっかけとして性格がねじ曲がってしまったのでしょう。
緩衝材となる人物が近くにいないのが問題です。
何か行動を起こそうとした時に相談する相手がいないのです。
だから、その行動を誰も止めずにいて、気がついたら周囲の人たちにとっては大迷惑となっているのです。
やはり、妻に先立たれたり、離婚をきっかけとして相棒となる人を失い、歯止めが効かないことが多いようです。
身内が止めなきゃ誰が止めるんだ!というお話ですね。
ワタクシの父もかなりの頑固オヤジですが、息子であるワタクシの話は理解してくれるようになりました。
身内だからこそかなり強くダメ出しできるのも事実です。
しかし、そこにはまず父親の一番の理解者であることが前提です。
結局のところ、正論おじさんにも心を込めて寄り添う姿勢なんでしょうね。
寂しさから来てる行動であることは間違いありません。
レストランで得意げにクレームつけるおじさん
サービス業の店員にクレームをつける人も増えました。
コンビニレジで一方的に店員を怒りつけるおじさん。
特に、ホワイトカラー(主に事務系の仕事をする頭脳労働者)の人は要求レベルが高いのです。
彼ら自身、「こうでなければならない」というのを持っています。
それを押し付けてくるのです。
そのおじさんは自分の上司から怒られたのでしょう。
店員に八つ当たりをしているかのようにも見えて非常にカッコ悪いです。
近年は、コンビニなども提供サービスが増えて覚えることも多いので、教育が追いついていないのは事実です。
特にサービス業は人手不足なのは時代背景上しょうがありません。
そんなことを全く理解せず、クレームをつける人はナンセンスと言わざるを得ません。
もう少し、優しい目で見てあげることをしてあげましょう。
上記記事に書いてありますが、弱者であるサービス業の店員を上から目線で叱りつけるのは恥ずかしいことなのです。

サービス業は「丁寧さ」を削減しないと未来がない
そもそも日本のサービス業の生産性は世界一低いのです。
ドイツまでとはいかないまでも、近い状態にしなければサービス業に未来はありません。
もちろん、サービス業の全部が全部「丁寧さ」をなくしてはいけません。
高級路線を売りにするホテルや質の高い商品やサービスを提供するのであれば「おもてなし」は必須です。
しかし、スーパーやコンビニ、ファーストフードなどの日常利用するお店などはサービスレベルを見直していかないと利益を圧迫します。
サービスレベルを上げることは人員を増やさないことには成し得ないからです。
人件費が利益を圧迫します。
AIなどの普及により、サービス業ももっと大胆に2極化していくでしょう。
おもてなしをとことん極めるか、おもてなしを削減して効率重視するしか生き残る術はないでしょう。
おわりに
妻に先立たれた一人暮らしの主人が怒りっぽくて気難しいのはよくあることです。
映画でもよくあるストーリーです。
ある日、隣人が越してきました。
毎日、パーティーでうるさいので、苦情を言いに行ったら、そのまんまディナーに招かれました。
すると、かわいい子供たちが懐いてきて、だんだん主人の態度も変化していきました。
隣人は一家で臆することなく、主人の懐に入ってきます。
要するに、無償の愛が変化を起こすのです。
Comment On Facebook