デリバリーピザが日本に誕生して35年以上が経過しました。
もうすっかり生活に根付いた感じでしょうか。
ハレの日は「ピザ」がすっかりキーワードとなっているのではないでしょうか。
その35年の歴史を振り返りながらライフスタイルの変化も見ていきましょう。
目次
1985年、恵比寿にデリバリーピザ誕生
1985年、東京恵比寿に日本のデリバリーピザ1号店である「ドミノピザ」が誕生しました。
とにかくバカ売れしていました。
恵比寿という場所柄、当時のデリバリースタッフは英語が話せるスタッフも多くジャニーズのようなイケメン揃いということでメディアにも登場することが多かったです。
記憶に残っているのが、当時「オレたちひょうきん族」という大人気番組でビートたけしがデリバリーピザをパロディとしてコントをやっていたものですからデリバリーピザの認知度は爆発的に上昇しました。
そのコントの内容は、当時謳っていた「ピザを30分以内にお届けします」というお約束を、ビートたけしが必死に妨害してピザをタダで手に入れようとします。
しかし、ピザの配達員は必ず時間を守ってみせるというコントでした。
そこから「30分以内にお届けできなかったらタダ」というウソが広く知れ渡ってしまったのでした。
それにしても、ドミノピザ恵比寿店の売上は月商で3000万円とも言われており、ケタ違いに忙しい店舗となっていたのです。
もちろん配達するバイクも台数が20台は超えていきます。
なので当時は、「インストア」「デリバリー」スタッフ以外に「パーキング」スタッフという駐車専門の係が常駐していたのです。
デリバリーピザバブルな80年代
ドミノピザを筆頭にいろんな企業がデリバリーピザに参入しました。
大資本のトコロでは、
フジサンケイグループの「ディノスピザ」。
スロット機製造のユニバーサルが手がける「ピザステーション」。
ファミリーレストランの「ロイヤルホスト」は駐車場に小屋を建てて、室内にデリバリースタッフが待機していました。
しかし、「ディノスピザ」はノウハウに乏しく、ドミノピザへ売却しました。
「ロイヤルホスト」のピザデリバリーもノウハウが足りなく、堕落した店舗となってしまいました。
「ミスターピザ」もブームに乗り出店していましたが、撤退していきました。
29分で配達する「ピザウィリー」という猛者も現れました。
全国に店舗を増やしたのですが、今では10店舗ないのではないでしょうか。。。
その点、「ピザステーション」は「ドミノピザ」と双璧をなすべく奮闘していました。
この2ブランドは全店直営を貫いていましたので徹底したオペレーションで店舗管理もきちんとしていました。
しかし、強かったピザステーションも徐々に崩れ始めてきました。
ドミノピザとの出店競争で店舗は作るのですがなかなかOPENできないのです。
人材が足りなかったのです。
そしてピザステーションはOPENできないかなりの数の店舗を他チェーンに売却しました。
ピザステーションは親会社がスロット機器製造で莫大な利益を出していたので、デリバリーピザにあまりチカラが入ってこなくなりました。
一方、地方ではローカルチェーンも誕生していました。
名古屋・東海地区では「アオキーズピザ」
関西の「ピザポケット」
大阪の「ピザ・サントロペ」
京都の「ピザリトルパーティー」
北海道では「ピザ10.4」
仙台では「ストロベリーコーンズ」
北陸では「テキサスハンズ」
四国では「ピザロイヤルハット」
北九州では「ビッグベアーズピザ」
福岡では「ピザクック」。
80年代、店舗数は各チェーンともさほど多くなく、地域に最初にOPENした店舗が地元で知名度を上げ、莫大な先行者利益を得ていたのです。
一方、埼玉県にデリバリーピザ超激戦区が存在しました。
蕨市という場所は人口密度日本一であり、東京23区より家賃も安いことから個人のデリバリーピザ店が多数ありました。
都心よりちょっと離れていることもあり、チェーン店の進出は遅く、まだ店舗数もわずかな「ストロベリーコーンズ」の関東1号店がありました。
やはり個人店はオペレーションが弱いので西川口に「ピザステーション」が進出してからは一気に閉店ラッシュしました。
圧倒的に強かったパイオニアのドミノピザ。
他チェーンを打ち負かすための戦略として求人対策がありました。
デリバリースタッフを大量に集めないことには事業が成り立たないので、高い時給で大量募集していました。
おかげでドミノピザはリクルートの求人誌のいいお客さんでした。
求人誌に巨大な求人広告を常に掲載していました。
しかもどの時給よりも高い時給で、、、。
そこで競合店は人件費の高騰についてこれず閉店に追い込まれていったのでした。
店舗売上が一際高いドミノピザしか成り立たない時給だったのです。
売上アップに欠かせない宣伝広告の点ですが、バブル時期のこのタイミングではほとんどのデリバリー店で薄いA4チラシの「新聞折込」しか実施していませんでした。
しかし、ドミノピザなどは莫大な宣伝広告費をかけて戸別に「ポスティング」をしていました。
その違いもあり店舗別の売上に大差が付いたのです。
日本のピザ創成期はある一族に握られている
ドミノピザの創業者はハワイ生まれ日系3世の”アーネスト・エム・比嘉”さんです。
そしてアーネスト比嘉さんのお姉さんは日本にピザを輸入しているJCフーズの大河原愛子会長 です。
当初、ピザのトッピングにしか使用されていなかった「イタリアンソーセージ」や「バジルソース」などはJCフーズしか持っていなかったのでワタクシ自身もJCフーズのお世話になっていました。
主にドミノピザに使用されていた食材でしたのでどうしても味がドミノピザに近づいていったのを覚えています。
そしてJCフーズの大河原愛子会長の旦那さんが、日本ケンタッキーの設立メンバーで社長も務めていました。
そのケンタッキーは「ピザハット」を運営していました。
「ドミノピザ」と「ピザハット」はいとこの様な関係でした。
ドミノピザの売上上位店舗のすぐ近くにピザハットが出店するのはよく目撃されました。
売上情報はきちんと掴んでいたのでしょう。
かたや、「ピザーラ」を運営する浅野社長の妻である幸子さんは、「秀和レジデンス」などのマンションを手がける不動産大手の秀和株式会社の社長の娘でした。
とんでもないお嬢様を妻にした浅野氏は慶應出身でしたし人脈に困ることはなかったのではと思います。
大河原一族とは関係ない様ですが、ビジネスを大きくする素養はすでに備わっていたことに間違いありません。
ライフスタイルに根付いた90年代
90年代初期に店舗数NO1は、大半はフランチャイズ店舗を有している「ピザ・カリフォルニア」でした。
300店舗と店舗数は多かったのですが、1店舗の月商はドミノピザの半分以下の500万円ほどでした。
フランチャイズで急激に店舗数を伸ばした「ピザ・カリフォルニア」は地方で伸びていきました。
ピザカリフォルニアの母体はレンタルレコードの「友&愛」でした。
すでにレンタルレコードでフランチャイズ店舗数を増やし、相当なオーナーを抱えていたことにより、次のビジネスとしてピザカリフォルニアを勧めて店舗数を伸ばしたのです。
しかし、店舗ごとに商品メニューが違っていたり、使用食材が違っていたり、チェーンとしての均一化が取れていなくて
まとめようにも各オーナーをまとめるのは大変で、自然と脱退して独自のブランドを立ち上げることが当たり前になりました。
そしてあっという間に店舗数は減っていったのです。
関西では「シカゴピザ」が勢力を増していました。
ピザカリフォルニアと同様にフランチャイズオーナーを増やしていました。
渋谷にあった店舗はとてもカッコよくロケなどによく使用されました。
しかし、やはり店舗管理のずさんな店舗も多く、ドミノピザなどの徹底管理の店舗にシェアを奪われていきました。
日本進出時の「ピザハット」の母体は「ペプシ」でした。
ペプシ時代はレストラン併設も多く、デリバリー一本で勝負することを避けていました。
それが「ケンタッキー」母体になってからはさすが一気に店舗数が増えていきました。
「ピザーラ」は今でこそ誰でも知っているデリバリーピザチェーンですが、40店舗くらいになるまでは個人店のようなオペレーションでスタッフもやんちゃなお兄ちゃん的なコが多かったです。
どこで変わったのかというと、TVCMをスタートさせてからでした。
TVCMとともに知名度も上がり、店舗数も増え、ついには400店舗も超えて日本一のピザチェーンとなりました。
直営で貫いたドミノピザと戦略を違うものにしたところが勝因です。
マーケティングに長けてるピザーラの勝利でした。
西川口に関東初出店をしていた仙台発の「ストロベリーコーンズ」はなかなか店舗を首都圏で増やせなかったのですが、90年代後半に店舗を急激に増やしました。
ダイエー系であるマルエツの子会社が運営していた「アイディッシュ」もオペレーションは優れていたのですが、やはり97年に一斉に直営店12店舗をクローズの憂き目に遭っています。
ピザハットは店舗数も多く、ピザーラに次ぐ店舗数を構えていました。
店舗単位の売上も高くいのですが、ケンタッキーにとってのピザ事業は全然儲かっていませんでした。
ケンタッキーの利益をピザハットが吸い込むような状況がズ〜っと続いていました。
ドミノピザもピザーラの攻勢にあい、チカラを落とし、仙台や福岡などの地方店舗を複数閉店してしまいました。
しかし、2000年までは成長期と言っていいのではないでしょうか。
成熟期突入の2000年代
アメリカに目を向けると3大ピザチェーンは「ドミノピザ」「ピザハット」そして3つ目が「リトルシーザーズピザ」です。
「リトルシーザーズピザ」の日本での展開は北陸の新潟から始まりました。
ピザカリフォルニアからの看板替えでスタートしました。
関東では神奈川の平塚に同じくピザカリフォルニアの看板替えでスタートしました。
オープン当初こそ売上は好調でしたがやはり徐々に衰退していきました。
アメリカ本社からの資本は入ってなかったようですので拡大していくことはなかったのです。
一方、ピザーラの強さは変わらずでしたが、デリバリーピザも成熟期に入り、前年売上を上回ることが難しくなってきました。
そして、商品バラエティにも限界が見えてきていました。
ピザ生地やピザエッヂ(ピザのふち)にチーズを挟んだり、薄生地にしたりといろいろ考えられてきました。
でもそれはやはり既存の設備を使用したものに過ぎませんでした。
そこで、登場したのが石窯でないと焼けない「ナポリピザ」の登場でした。
ホントにイタリアナポリから来た本格的なピザのデリバリーです。
従来のピザはアメリカのふっくらタイプの生地が基本となっていました。
ナポリピザは小麦粉、塩、水だけで作るシンプルな生地で風味と食感が特徴です。
店内に石釜を設置した「ピザサルヴァトーレ」が登場しました。
イートイン併設のデリバリーピザです。
一気に火がつき大人気になったのです。
しかし、イートイン併設のため、オペレーションが複雑になり他店舗展開にスピードがつきません。
そこで登場してきたのが「ナポリの窯」です。
ナポリの窯の母体はストロベリーコーンズです。
ストロベリーコーンズの勢いを失い出した時にすぐナポリの窯の業態開発をしました。
これが成功して、かなりの店舗が「ストロベリーコーンズ」→「ナポリの窯」に看板変更しました。
混迷の2010年代
デリバリーピザはもはやいい商売ではなくなりました。
閉店も見られます。
しかし、たくさんのオーナーを抱えるピザーラなどは加盟店のために思考を凝らさないといけません。
そこで、複合店舗の開発です。
ピザ以外の二本目の柱となるべき業態の開発です。
もともと、デリバリー店は来店型のお店ではありませんので、お店の中でいろんな商品を製造してもお客様にはわかりません。
ピザ店の中でお寿司や中華を作ってもいいわけです。
そして、そのお寿司や中華に別の店名をつけてメニューを制作します。
お客さんには新しいデリバリー店がOPENしたと思わせ、OPEN景気でガッポリ稼ぐという戦略です。
前出の「ピザポケット」は昔から「お好み焼き」との2業態を展開していました。
そして、ピザーラは「パエリア」のデリバリー業態を開発し、「ビバパエリア」と名付けて既存のお店にパッケージしました。
東京・埼玉で運営している「ピザダーノ」も90年代は元気よかったのですが、現在は何屋かわからない状態で複合しすぎで “丼” が売れ筋のようです。
パッとしていないドミノピザは業界3番手まで落ちていました。
しかし、ドミノピザは外資系ファンドの手に渡り、生まれ変わりました。
莫大な資金を手にしたドミノピザは再び出店攻勢に出ました。
コンビニ跡地などに出店し、良い立地と広い店舗を手に入れ、テイクアウト攻勢に出ました。
テイクアウトは実質半額という価格とTVCMで、ピザは「ドミノピザ」というブランディングを作り上げ再び店舗数日本一に返り咲きました。
ドミノピザのこの戦略は、オペレーションなどの店舗管理を重視しているからこそ、すごくメリットがあります。
デリバリーピザは他の業種と違い、お客さんが店内に入ってくることはありません。
それがどういうことかと言うと、、、
お客さんの監視の目がないとお店が荒れてしまうのです。
デリバリースタッフを中心としたスタッフなので若い男性スタッフが多く、クリンネスの点で落ちてしまいます。
そこで、テイクアウトのお客様が店内に常時入ってくるような状況を生み出せば、店内環境が維持できるのです。
一昔前のデリバリー店はホントに店舗管理の点から総崩れして従業員の質の悪さから閉店に追い込まれているのです。
その点、ドミノピザの店舗管理は昔から定評があります。
かたや2番手にいた「ピザハット」はなかなか黒字化できないままケンタッキーはピザハットを手放しました。
今は3番手で勢いがあまりありません。
宅配ピザチェーンの店舗数・売上は?
正確な数値は公表されていませんのであくまで予想数値です。
宅配ピザ売上・店舗数ランキング
店舗数 | 売上 | 店舗平均月商 | 直営店 | FC店 | |
---|---|---|---|---|---|
ドミノピザ | 約1000店 | 約840億円 | 約700万円 | 約300店 | 約700店 |
ピザーラ | 約592店 | 約426億円 | 約600万円 | 約150店 | 約440店 |
ピザハット | 約540店 | 約361億円 | 約558万円 | 約140店 | 約400店 |
ナポリの窯 | 約103店 | 約55億円 | 約450万円 | 約10店 | 約93店 |
ピザ10.4 | 約88店 | 約24億円 | 約230万円 | 約0店 | 約88店 |
ピザロイヤルハット | 約62店 | 約20億円 | 約280万円 | 約0店 | 約62店 |
ピザポケット | 約61店 | 約16億円 | 約217万円 | 約10店 | 約51店 |
ピザカリフォルニア | 約59店 | 約21億円 | 約300万円 | 約3店 | 約56店 |
アオキーズピザ | 約50店 | 約27億円 | 約450万円 | 約10店 | 約40店 |
ピザサルヴァトーレクオモ | 約47店 | 約28億円 | 約500万円 | 約47店 | 約0店 |
ストロベリーコーンズ | 約46店 | 約16億円 | 約300万円 | 約10店 | 約36店 |
ピザクック | 約32店 | 約17億円 | 約450万円 | 約32店 | 約0店 |
ピザリトルパーティー | 約26店 | 約10億円 | 約300万円 | 約5店 | 約21店 |
テキサスハンズ | 約23店 | 約7億円 | 約250万円 | 約0店 | 約23店 |
ピザサントロペ | 約15店 | 約6億円 | 約300万円 | 約8店 | 約7店 |
ビッグベアーズピザ | 約13店 | 約4億円 | 約250万円 | 約13店 | 約0店 |
ピザダーノ | 約10店 | 約5億円 | 約400万円 | 約10店 | 約0店 |
どうしても売上規模は首都圏が段違いです。
地方都市でのローカルチェーンは売上規模は低くてもシェアは高いのが特徴です。
ビッグ3の「ドミノピザ」「ピザーラ」「ピザハット」は売上のほとんどを首都圏で稼いでいると言っても過言ではありません。
「ストロベリーコーンズ」は「ナポリの窯」と複合している店舗も多いです。
これからの2020年代は?
「ピザ」と「デリバリー」は切り離して考えるべきでしょう。
ピザ市場はこれからも微増していくでしょう。
そして2020年、コロナの影響でデリバリー需要が増大しました。
「ミスタードーナツ」を運営するダスキンは「ナポリの窯」を運営する「ストロベリーコーンズ」と提携をしていましたが、買収しました。
ダスキンは「ミスタードーナツ」の不振もあり宅配事業を強化することになりました。
しかし、ダスキンは過去に「ドミノピザ」とも提携をしていましたが「ミスタードーナツ」との相乗効果もなく2010年に提携を解消しました。
外資系ファンドに株式を売却した実績があることから今回の「ストロベリーコーンズ」との提携も効果なしと判断すれば売却するという投機的な行動を起こす可能性も十分です。
2021年4月現在、やはり両社の関係は解消されました。
買収完了と思われていたのですが、交渉決裂していた模様で事業譲渡中止に伴って業務提携も解消しました。
これにより、「ナポリの窯」の商品販売は21年6月で終了し、7月からはダスキンが独自開発したピザを販売する予定となっています。
ダスキンはまたもピザ業界を引っ掻き回しました。
どうなっているのでしょうか?
そして2023年。
シカゴピザは崩壊して一部事業はストロベリーコーンズ(ナポリの窯)が譲り受けました。
西日本に出店の礎とするとのこと。
ドミノピザは1000店舗突破しました。
しかし、ここに来てフランチャイズ店の閉店の情報が続々と届いています。
コロナ禍の需要が一段落してデリバリー店は軒並み売り上げが下落しています。
その時期に出店したデリバリー店は苦労しています。
急激な出店を行ったドミノピザのフライチャイズ、特に地方出店した企業は苦しんでいます。
ピザデリバリーのシェア争いはこれからも見放せません。
高齢化によって「ピザ」という食文化は衰退するのではないかと思われるかもしれません。
しかし、もう長年をかけて生活にすっかり浸透しきっています。
ちょっと中毒性もあるピザはハンバーガー同様、息の長い食事スタイルなのです。
そしてデリバリーは、最近ではUberEATSなどによりデリバリースタイルが多様化しています。
イートインスタイルの近所の美味しい「ピッツェリア」の「ピッツァ」が自宅で満喫できるようになったのです。
そういう意味でデリバリーピザ市場は伸びていくでしょう。
ただ従来のチェーン店はキツくなることは間違いありません。
オペレーション重視のチェーン店が、味で個人店と勝負はできません。
新たな設備投資をして、ライフスタイルから提案するような商品を開発しなければいけないでしょう。